やまだ紫 (YAMADA Murasaki)
1948年9月5日、東京・世田谷区生まれ。漫画家、詩人、エッセイスト。
1969年「COM」でデビュー以後精力的に作品を発表。1971年「ガロ」入選、翌年「ビックコミック賞」佳作入選。
女流漫画家の先駆けとして高い評価を受けるが、結婚と出産・育児のために休筆。
1978年に復帰後は漫画誌だけでなく、多方面に作品を発表。独特のタッチと心の深淵を描き出す作風で、漫画界のみならず詩壇や歌壇、社会学の研究者からも高い評価を受ける。
詩やエッセイにも定評があり、その言語感覚と絵画的センスの融合も、その後の漫画界に多大な影響を与えた。
2006年度から京都精華大学マンガ学部教授に就任、翌年京都へ転居し後進の指導にあたる。
2009年4月26日未明に脳出血で倒れ、5月5日歿。
●主な著作…漫画『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』『Blue Sky』、エッセイ『どうぞお勝手に』、詩画集『樹のうえで猫がみている』他、多数。
西暦セイレキ 元号ゲンゴウ 年齢ネンレイ できごと・作家サッカ活動カツドウなど
1948年 昭和23年 0歳 9月5日 東京(世田谷区)に生まれる。父・山田仲信、母・邦子の次女、本名・山田三津子。
1950年 昭和25年 2歳 7月21日 父・仲信死去。
      幼少時から一人で絵を描き始める。
1955年 昭和30年 7歳 世田谷区立三宿小学校入学。
  貸本漫画をよく読む。手塚治虫、小島剛夕、水木しげるらの作品を好んだ。
  この頃から絵でよく賞を貰うようになる。小学校高学年になると、少年少女世界文学大系を読みふける。
      好きな作家は夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、宮沢賢治などを好む。映画ではウォルト・ディズニー。
1961年 昭和36年 13 世田谷区立新星中学校入学。後に笹塚中学に転校。
1964年  昭和39年 16 私立富士見ヶ丘高校(現在…学園)入学。
  男四人に紅一点でフォークバンドを結成、ヴォーカル担当。
      <1964年8月、青林堂「ガロ」創刊>
1966年 昭和41年 18 詩の同人会「しちにん」に参加。
      <12月、虫プロ商事「COM」創刊>
1967年 昭和42年 19 高校卒業後、デザイン事務所に勤める。
      雑誌「COM」へ漫画作品の投稿を始める。
1969年 昭和44年 21 「COM」5月号『ひだり手の…』でデビュー。以後「COM」誌上に精力的に作品を発表。
1971年 昭和46年 23 「ガロ」2月号『ああせけんさま』入選。
      10月、最初の夫・Oと結婚。
1972年 昭和47年 24 第9回「ビッグコミック賞」佳作入選(作品の本誌掲載は翌年)。
1973年 昭和48年 25 8月、長女もも出産。
1974年 昭和49年 26 11月、次女ゆう出産。このコロよりオット不仲フナカになる。
1978年 昭和53年 30 「ギャルズライフ」9月号に長月三津子名義で『わたしの青い星』発表。
      「ガロ」12月号『ときどき陽溜まりで』を発表ハッピョウ。(これまではこの作品サクヒンが「復帰サク」とばれていた)
1979年 昭和54年 31 「ガロ」2・3合併号より『性悪猫』を連載開始。(〜80年2・3合併号)
1980年 昭和55年 32 8月、青林堂より処女単行本『性悪猫』上梓。(→90年筑摩文庫、92年筑摩書房『やまだ紫作品集』5巻)
  10月、COM時代の初期作品集『鳳仙花』(ブロンズ社)上梓。
      この年暮れ、初の個展を吉祥寺ライヴハウス「ぐわらん堂」で開催。
1981年 昭和56年 33 「ガロ」2・3合併号より『しんきらり』連載開始。(〜84年10月号)
  この頃、前夫と完全に別居。
      10月、短編集『鈍たちとやま猫』(青林堂)上梓。(→92年・筑摩書房)
1982年 昭和57年 34 8月、『しんきらり』(青林堂)上梓。(→92年・筑摩書房)
1983年 昭和58年 35 7月、詩人・吉原幸子氏主宰の『ラ・メール』で詩画連載『樹のうえで猫がみている』開始。
  7月18日、前夫と協議離婚。慰謝料イシャリョウ養育費ヨウイクヒ一切イッサイし、二人フタリ親権シンケンのみで成立セイリツ
      11月、『はなびらながれ』(青林堂)上梓。(→92年・筑摩書房)
1984年 昭和59年 36 6月、『ゆらりうす色』(講談社)上梓。(→92年・筑摩書房)
  夏、長井勝一が教える専門学校で白取と出会う。
      10月、『続しんきらり』(青林堂)上梓。(→92年・筑摩書房)
1985年 昭和60年 37 『ゆらりうす色』、にっかつ映画『ベッド・イン』として映画化。
  9月、「現代詩手帖」10月号に詩人・井坂洋子氏との合作『共鳴』発表。
  この頃、現在の夫白取と交際。
  10月、漫画+エッセイ集『空におちる』(河出書房新社)上梓。
      12月、エッセイ集『満天星みた』(大和書房)上梓。
1986年 昭和61年 38 この頃、白取と同居、山田姓のまま事実婚状態に。
      9月、『しあわせつぶて』(青林堂)上梓。(→92年・筑摩書房)
1988年 昭和63年 40 3月、『ねこになった少年』(文・征矢清、岩波書房)の絵を執筆。
1989年 平成元年 41 ちきゅうクラブより参議院議員候補として立候補(比例名簿に記載)。同党は当選者出ず。
1990年 平成2年 42 「ラ・メール」連載作を詩画集『樹のうえで猫がみている』として上梓。(筑摩書房)
  急性膵炎を起こすが医師に「胃炎」と誤診され、たびたび通院するも鎮痛剤チンツウザイのみ。
  他数カ所の病院でも原因特定出来ず、救急車キュウキュウシャでの搬送先ハンソウサキ膵炎スイエン判明ハンメイ入院ニュウイン
      12月、「婦人公論」(1月号)に『Blue Sky』連載開始。(〜92年12月号)
1991年 平成3年 43 1月、エッセイ集『東京ノスタルジア』上梓。(フレーベル館)
1992年 平成4年 44 2月、筑摩書房より『やまだ紫作品集』全5巻、刊行始まる。
  7月、個展『やま猫展3』を詩人・吉原幸子氏の書肆水族館(東京・大久保)で開催。
  8月、板橋区の自宅近くに仕事場を開設。
      10月、『Blue Sky』1巻上梓。(中央公論社、96年中公文庫)
1993年 平成5年 45 「ガロ」2・3合併号にて『やまだ紫特集号』。
      3月、『Blue Sky』2巻上梓。(中央公論社、96年中公文庫)
1994年 平成6年 46 10月5日より、毎日新聞火曜日朝刊・生活家庭欄にてイラスト+コラム「お勝手に」を連載(〜97年10月28日)。
1995年 平成7年 47 6月、井坂洋子氏との合作を収めた『夢の迷子たち』上梓。(翔泳社)
      7月、人生相談『やま猫人生放談』上梓。(同文書院)
1996年 平成8年 48 1月、「ガロ」編集長だった長井勝一氏死去。
  1月〜6月、下血入院、検査を繰り返すが「原因不明」と言われる。
      12月、毎日新聞連載中のイラストコラムをまとめた『お勝手に』上梓。(毎日新聞社)
1997年 平成9年 49 3月11日、公式サイト「やま猫SOMETIMES」OPEN!
  4月、中央公論社より「マンガ日本の古典」シリーズの21、『お伽草子』(描き下ろし)上梓。
  7月、「ガロ」編集部員がクーデターを起こし一斉退社、その非常識と犯罪性にいちはやく疑問ギモンの声をあげる。
  8月、読売新聞夕刊で三田誠広氏の小説「恋する家族」の挿し絵を担当。(〜98年2月)
  10月28日、丸3年続けた毎日新聞のイラストコラム「お勝手に」が好評のうち連載終了。
      12月、個人事務所DIGIPAD(デジパッド)設立。「デジパッド」とは犬や猫の指の「肉球=digital pad」から。
1998年 平成10年 50 2月、中央公論社の「マンガ日本の古典」シリーズが文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を受賞。
      3月、個展『やま猫展W』を池袋PARCOにて開催(3/20〜4/4)。
1999年 平成11年 51 2月、板橋区内に住居と仕事場を統合し転居。
  同月、吐血で入院。
  8月、次女ゆうが長女(初孫)出産、祖母となる。
  大伴茫人著『姫様と紀貫之のおしゃべりしながら 土佐日記』(洋泉社)の挿画を担当。
  宜保愛子著『因縁物語』(青林堂)表紙と挿画担当。
      11月、毎日新聞社刊「お勝手に」が中央公論新社より文庫版「どうぞお勝手に」として刊行。
2000年 平成12年 52 青林堂月刊『ガロ』1月号より「招く猫」毎月8ページ連載(〜10月号)。
  10月、やまだ紫オリジナル猫ラベルワイン発売。
      12月、中央公論社より「マンガ日本の古典」『お伽草子』文庫版上梓。
2001年 平成13年 53 筑摩書房版に描き下ろし・未収録作品を加えCD-ROM版『樹のうえで猫がみている』としてデジパッドより刊行。
2002年 平成14年 54 3月、12年前の誤診による膵炎放置の影響から一型糖尿病と判明。インスリン自己注射となる。
  右腎臓の腫瘍(腎血管筋脂肪腫;良性)がみつかり、右腎摘出手術。
  3月22日、白取と正式に入籍・結婚。
  6月、公式サイト「やま猫SOMETIMES」から「やまねこねっと」にリニューアル。
  腎臓摘出の手術痕の痛みのため、激痛で苦しむようになる。
      7月、激痛と不眠、栄養不足で入院。以後抑鬱状態となる。
2003年 平成15年 55 4月、オブティン・フューチャー発行隔月広報誌「Sara」にカラー2ページの漫画「まどろみの夢」を連載開始(3号まで)
2004年 平成16年 56 3月、コスモス短歌会の「コスモス」4月号より毎月詩画集「見上げれば虹」連載開始(〜2006年京都精華大教授就任で休載)
      11月、コミック+エッセイの新刊『愛のかたち』(PHPエディターズ・グループ発行/PHP研究所発売)上梓。
2005年 平成17年 57 体調すぐれず、たびたび入院をする。
      夏に夫・白取が白血病宣告を受け入院も、無治療にて退院。
2006年 平成18年 58 2月、吐血入院。原因不明、出血箇所も不明のまま退院。
      4月より京都精華大学マンガ学部専任教授に就任。京都へ隔週通勤。
2007年 平成19年 59 4月より大学通勤が毎週となる。
      7月、通勤は無理と判断し東京から京都へ転居する。
2008年 平成20年 60 9月5日、還暦。体調は良好。
2009年 平成21年 4月26日午前2時過ぎ、自宅で脳内出血を起こし病院へ搬送・手術シュジュツ
      5月5日午前4時16分、京都大学付属病院脳外科病棟にて、永眠。60歳。
      絶筆ゼッピツは「別冊ベッサツ太陽タイヨウ 親鸞シンラン掲載ケイサイのエッセイ「トオ哲人テツジン」。
      10ガツより「性悪ショウワルネコ」「しんきらり」「ゆらりうすイロ新版シンパン刊行カンコウ小学館ショウガッカンクリエイティブ)。
      誌画集シガシュウジュのうえでネコがみている」シンハン思潮社シチョウシャより刊行カンコウ